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こんにちは!
クロヒョウ先生@Webライターです。
うつ病という診断を受けた後も、私はしばらくの間、そのことを職場に伝えず、だましだまし勤務を続けていました。
(今、自分が抜けたら、この仕事は誰がやるんだ…)
そう思っていたからです。
中高の教員として約15年働きましたが、「今日の分は、これで終わり」と思えた日は、1日もありませんでした。
今回は、教員の仕事に終了ラインが存在しないという職場の構造について、15年勤めた私が現場で感じてきたことを書いていきます。
教材研究には、「ここまでやれば終わり」という線がない
私の場合、教員の仕事の中で、いちばん大切にしたかったのは教科指導でした。
学習指導要領に基づいて、教科書や副教材を選び、目の前の生徒の実態に合わせて授業を構成し、1年間、責任を持って担当教科を教えていく。
教科指導だけに専念できるならば、教員は、このうえなくやりがいのある職業だと、今でも感じます。
しかしながら、実際は、教科指導に気持ちと時間の全てをかけることができませんでした。
授業の空き時間は、表向きは、教材研究を行う時間ということになっています。
ところが、担任業務や学校運営業務の仕事量が莫大なため、教材研究に割く時間はなくなり、いきあたりばったりで授業を行うのが現実でした。
そして、教材研究というのは、そもそも「ここまでやれば終わり」という線が引かれていません。
いくらでも深められるし、いくらでも足りない。
(今日も、ちゃんと準備できないまま教室に入るのか…)
チャイムが鳴るたびに、そう思いながら、生徒の前で切り替えて授業を始める。
終わっていない仕事に、終わっていないまま蓋をして、次の業務へ移る。その繰り返しが、毎日続いていました。
担任業務と学校運営業務は、1つ終えると次が始まる
私の場合、教科指導と並行して、担任業務と重めの学校運営業務を、常に抱えていました。
担任業務では、生徒の個人情報、成績、諸活動の記録などを管理し、進路実現に向けて動きます。あわせて、家庭への電話、三者面談、家庭訪問などを通じて、家庭とも連携していきます。
学校運営業務については、学校を1つの会社に見立て、教員が社員として部署を分担する形になっています。生徒指導課、教務課、進路課、情報課、図書課、教育相談課、保健課、研修課…と、部署も業務も多岐にわたります。
本来、教員は教科指導や担任業務に特化すべきだと思いますが、学校運営に関わる事務仕事も、外部委託などせず、教員が全て担当しているのが現状です。
ここでも、終わりの線は引かれていません。
1件の面談が終われば、次の面談の日程調整が始まります。1つの書類を出し終えれば、次の締め切りが来ます。
さらに、学校システムの大前提として、子どもの責任者は親で、教員は助言者のはずですが、今の世の中の風潮として、教員が全ての責任を背負っている雰囲気があるのも実情でした。
(それが教員の仕事なのか…?家でやることなんじゃないのか…?)
そう首をかしげてしまうような、プライベートに近い依頼が入ってくることが、とても多かったです。
仕事量が多いこと自体より、「これで完了」と言える地点が一度も来ないことのほうが、私にはこたえました。
部活動には、平日も休日も長期休暇も関係がなかった
そして、ここに部活動顧問が加わります。
平日の授業終了後、休日、長期休暇中と、休むことなく展開される部活動の顧問を担当することになります。
自身の経験や希望などは考慮されず、専門外の部活動の顧問となることもありました。
1年間を1つのスパンとして考えたときに、休日という休日のほとんどが、部活動の時間になります。対外的な、種目ごとの役員や、競技会運営などの仕事まで入ってきて、人生が部活動によって覆いつくされてしまうほどの生活状況になりました。
平日は、教科指導、担任業務、学校運営業務、部活動指導と休みなく働き、休日も、持ち帰り仕事をしながら部活動指導に時間を拘束される。
私の場合、お盆と年末年始の数日くらいしか、まとまって休んだ記憶がありません。
有休も、ほとんど消化できませんでした。
民間企業ならば、有休をとっても代替要員がいますが、教員の世界は、1人で業務の責任を背負っている部分が大きく、個人の裁量で業務が進んでいる面も大きいため、なかなか代わりが効きません。
欠員が出ても、新たに人を補うシステムはなく、他の人の分担が増える形での対応しかできない。
「休んだら、他の人が辛くなる」
この空気の中では、自分で自分の1日に終わりの線を引くことが、どうしてもできませんでした。
教員の勤務実態については、教員の仕事内容はブラック?魅力的?メリットやデメリットは?にも詳しく書いていますので、ご参考ください。
終わりがないので、自分の不調にも線が引けなかった
私が、自分の体調の異変にはっきり気づいたのは、かなり後になってからでした。
半年ほど、(うつ病かもしれないな…)という状況が続いていました。
しかし、目の前の仕事に終わりが来ない以上、「ここで一度止まって、自分の状態を見よう」という区切りが、どこにもありません。
不眠、不安、焦燥感、希死念慮などが、どんどん強いものになっていきました。
(もう少しだけ、なんとかもたせよう…)
そう思っているうちに、最終的には家庭生活を送ることも難しくなり、医療保護入院という形で、3ヶ月間入院することになりました。
そこから、6ヶ月の病気休暇と、3年間の休職が始まりました。
今、振り返って思うのは、教員がうつ病になる原因は、仕事量の多さそのものよりも、「どれだけやっても終わらない」という構造のほうにあった、ということです。
終わりがない仕事の中では、自分の限界がどこにあるのかも見えなくなります。
そして、今の日本の教育界で働く中で、自分1人の力で、仕事量や職員室の空気を最適なものにすることは、ほぼ不可能でした。
だからこそ、この記事を読んでくださっている皆さんには、心と身体を職場から物理的に離すという選択肢を、頭の片隅に置いておいてほしいと思います。
休職は、正当に用意されている制度です。給与や手当がどうなるのかも含めて、仕組みは事前に確認できます。詳しくは、教員はうつ病になったら休職できる?仕組みや手続きの方法は?に書いていますので、あわせてご覧ください。
まとめ
教員の仕事は終わらない、と気づいた頃には、私はうつ病になっていました。
私の場合は、
– 教材研究に「ここまでやれば終わり」という線がない
– 担任業務と学校運営業務は、1つ終えると次が始まる
– 部活動には、平日も休日も長期休暇も関係がない
– 終わりがないので、自分の不調にも区切りをつけられなかった
これらが重なり、15年目で限界を迎えました。
2学期が始まり、また同じ毎日が動き出している先生も多いと思います。
仕事が終わらないのは、あなたの能力や頑張りが足りないからではなく、終わりの線が最初から引かれていない仕事だからです。
うつ病は、決して終わりではありません。
私がそうであったように、新しい人生の始まりでもあります。
小さなことを積み重ねることが、とんでもないところへ行くたった1つの道。
コツコツと、一歩一歩、やっていきましょう。
それでは、今回も最後まで記事を読んでくださり、ありがとうございました!
クロヒョウ先生@Webライターでした!
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