こんにちは!
クロヒョウ先生@Webライターです。
「先生、ちょっといいですか」
管理職に呼ばれて、別室で1時間以上、過去の対応の不備を一方的に責められた夕方。
職員室に戻り、自分の机で何もできずに座っていると、隣の席の同僚も、目の前の山積みのプリントに無言で向き合っていました。
(誰も、何も、言わないんだな…)
その瞬間、自分が職員室で完全に孤立していることに、改めて気づきました。
今回は、約15年勤めた元教員の私が、職場の人間関係の中で、どのように追い詰められていったのか。管理職との関係、保護者対応で孤立した経験を中心に、率直に書いていきます。
管理職からの「呼び出し」が、いちばん重かった
私の場合、15年の教員生活で、神経をすり減らしたことの1つに、管理職との関係があります。
教科指導や担任業務、部活動指導も、それぞれにしんどさはあります。
しかしながら、管理職から呼び出されたときの、あの胸の重さは、他の業務のしんどさとは、まったく質が違うものでした。
「先生、ちょっといいですか」
その一言で、職員室を出て、別室に向かう。
(また、何かあったのか…)
(自分の何が、悪かったのか…)
心拍数が上がり、頭が真っ白になっていく。
そして、別室で言われる内容は、保護者からのクレームへの対応、書類の不備、生徒指導案件への向き合い方など、いつも「自分の至らなさ」を指摘されるものばかりでした。
民間企業ならば、上司からの指導には、業務改善という目的があり、そのプロセスにも、ある程度の論理があるはずです。
しかしながら、教育界では、「気持ちが大事」「もっと頑張れ」という感情的な内容で、話が進んでいくことが本当に多かったです。
(具体的に、何をどう変えればいいのか、見えないな…)
そう感じながらも、「申し訳ありませんでした」と頭を下げ、職員室に戻る。
その繰り返しが、確実に心を削っていきました。
保護者からの電話と、職員室での「孤立」
私の場合、もうひとつ神経を削られたのが、保護者対応でした。
教員の仕事は、個人名を公表したうえで、保護者と直接やりとりをします。
ある日の電話対応で、受話器の向こうから1時間以上、一方的に責められ続けたことがありました。
電話を切ったあと、しばらく、机から立ち上がれませんでした。
しかしながら、職員室の他の先生方も、それぞれが、自分の保護者対応や、生徒指導案件で手一杯でした。
(何かあっても言うところもないし、誰も助けてくれなそうだな…)
と思いましたが、
(みんな、それぞれの業務で必死だから、自分のことまで気にしている余裕はないよな…)
という、現実だったと思います。
教員の職場には、独特な空気があります。
「休んだら、他の人が辛くなる」
「自分の担当は、自分で抱える」
このような暗黙のルールの中で、保護者対応で疲弊しても、その辛さを誰かに共有する場面は、ほとんどありませんでした。
そして、管理職に相談に行っても、
「お互いに、よく話し合ってみてください」
「先生のほうも、対応に気をつけてもらえると…」
という、どちらかというと、教員側の対応への指導で終わることが多かったように思います。
(責任は、教員にあるんだな…)
こちらには何の非はないにも関わらず、そう感じざるをえない場面が、何度もありました。
教員がうつ病になりやすい職場の構造については、教員はなぜうつ病になりやすい?15年勤めた元教員が職場で限界を迎えた瞬間にも書いていますので、よろしければ参考にしてください。
「精神論」で動く職場の、息苦しさ
教員を退職し、フリーランスのWebライターとなって、改めて気づいたことがあります。
それは、教育界が、いまだに精神論で動いている職場だ、ということです。
民間企業ならば、業務上の課題に対して、効率や費用対効果を軸に、論理的に解決策を考えていく場面が多いと思います。
しかしながら、教育界では、
「頑張る」
「休まない」
「気持ちが大事」
という価値観が、何の疑問も持たずに連呼されながら、職場が動いていました。
管理職からの指導も、保護者対応への助言も、同僚との会話も、根底にあるのは、ほとんどがこの精神論でした。
(もっと頑張れでは、何も解決しないよな…)
(これが本当に、ベストな対応策なのかな…)
15年の中で、そう思ったことは何度もありましたが、忙殺される中で、客観性を失い、教育界だけの価値観に染まらざるをえなくなっていったのが、実情です。
そして、その精神論で動く職場で、管理職と上手くやれない、保護者対応で疲弊する、同僚と気持ちを共有できない、という3つが重なると、職員室は、想像以上に息苦しい場所になっていきました。
教員時代の労働環境については、HSP気質の教員はうつ病になりやすい?15年勤めた私が「これは前兆だった」と気づいたことにも書いていますので、合わせて読んでいただけると幸いです。
距離を取るという選択と、休職への一歩
職員室で手が震えていることに気づいたのは、そのような日々が、何年も積み重なった後の、ある日の夕方でした。
不眠、不安、焦燥感、希死念慮などがどんどん強いものになり、最終的には、家庭生活を送ることも難しくなり、医療保護入院という形で入院することになりました。
そこから、3年間の休職生活が始まりました。
今、振り返って思うのは、
(あの管理職の呼び出しや、保護者対応で限界を感じた時点で、もっと早く教育界から距離を取っていれば…)
ということです。
今の日本の教育界で働く中で、自分1人の力で、管理職との関係、保護者対応、職員室の空気…を最適なものにすることは、ほぼ不可能でした。
まとめ
教員のうつ病の背景には、管理職との関係、保護者対応、職員室の空気…という、職場の人間関係が、想像以上に大きく関わっています。
私の場合は、
– 管理職からの呼び出しで、感情論ベースの指導を繰り返し受けたこと
– 保護者対応で疲弊しても、職員室で気持ちを共有できなかったこと
– 「頑張る」「休まない」という精神論的な価値観で動く職場の中で、客観性を失っていったこと
これらが重なり、15年目に限界を迎えました。
もし、今、教員として働いていて、似たような息苦しさを感じている方がいたら、自分1人で空気を変えようとせず、まずは、心と身体を職場から物理的に離すという選択も、頭の片隅に置いてもらえたら、と思います。
うつ病は、決して終わりではありません。
私がそうであったように、新しい人生の始まりでもあります。
小さなことを積み重ねることが、とんでもないところへ行くたった1つの道。
コツコツと、一歩一歩、やっていきましょう。
それでは、今回も最後まで記事を読んでくださり、ありがとうございました!
クロヒョウ先生@Webライターでした!

